浮気なペガサスには付き合いきれない




家畜は何で、のんのんと餌を食べて育ち、人間の餌となる生き方を選ぶんざんしょ?

まさか、飼われている牛達が人間の胃袋に納まるために、「うんと食べてすくすく育ちたい」なんて考えているわけはないだろうに。

牛という生き物は見た目とは裏腹に、実は臆病なため、人が近づくと大抵逃げる。

だから、少なからず、将来を予測し、不安を避けるという思考はできるみたい。
それが、ごく近い将来という限られたものであってもね…

そんな、将来を予測する能力があるにもかかわらず、何故牛は人間の餌となりつづけるのか?

おそらく、生来、義務無く無償で餌と住処を与え続けられる牛たちは、それが自分たちに与えられた「育つことができる権利」だと妄信させられ、もはや、その権利の正体が将来に潜む終わりへの誘いだと気づく可能性すら閉ざされているからではないでしょうか。

人間だって、意外と将来の展望なんて淡くいい加減なもので、もしかして牛と同様に結論ありきの人生なのに、それが当然のように送っているだけなのかもしれません。

だから、僕は音楽や美食や遊びを大切にするべきだと思いました。

文化というものは、生きるためには必要とされてますが、実際は削ぎ落とせる無駄でもあります。

家畜は経済動物であって、愛玩動物ではないので、無駄は与えられません。

無駄を無駄と知りつつ費やせることは贅沢なんですね。

そして、それがあてがわれた生き方に対する、大きな抵抗なんですよ。

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