土日を終え残りライフは3に・・・




週末、最近始めたスポーツの大会がありました。

そのスポーツがなんなのかとは、一言で簡単に説明できないので、頭をふりしぼって要約して説明すると

氷の上を金属製の刃がついた靴で移動しながら、先が「く」の字型に曲がった木の棒で、黒い硬質ゴムの円を転がすスポーツです。

そのスポーツはさておき

飲み会がすごかった。

金曜の6時から始まった宴会は、一次会、二次会…三次…四次…五次会と続き

終わったのが土曜の朝5時

で、8時半からの試合に備え、7時半にホテルロビー集合

二試合を終え、ホテルに戻ってきたのが午後2時

それから昼食をとり午後4時

そして、午後6時から宴会が始まり、一次会、二次会…三次…四次…五次会と続き

終わったのが朝4時

それから温泉に入り、仮眠をとり8時にホテルロビー集合

一試合を終え、解散したのが12時半

家に戻ったのが午後4時

筋肉痛、疲労、酒やけ、寝不足

すごく体がやばいです。



マシュマロも飴の仲間らしい。




保険の勧誘のおばちゃんがおいていったフルーツキャンディを口にしてから、最近、なんだか飴がお気にです。

世に無数とある飴の中でも、今のところ暫定一・二・三位は
UHA味覚糖の「さくらんぼの詩」「クリームソーダ」「野いちごの小道」

同じシリーズの飴なんですが、甘すぎず、のどがイガイガしないので、ついつい口にしてしまいます。

今日は飴の話。

飴というお菓子で原型に近いであろう、金太郎飴のような練り飴は、当然ながら砂糖味を前面に出した水飴と砂糖の塊です。

砂糖は脳の栄養分として重要であり、育ち盛りの子供に対する臨時の栄養補給として飴は都合のよいものなのかもしれません。

ただ、残念ながら、ここ日本はもはや戦後ではないのです。

砂糖だって蟻に与えるほどありますし、、和三盆だってコーヒーに入れちゃうことぐらいできるんです。

そんな国では、もう砂糖味は重宝されません。

水飴をうれしそうに舐める子供を見なくなって久しく、カルメ焼きで目じりを下げて喜ぶ子供を見なくなって久しく、ましてや角砂糖を知らない子供だって多いであろう時代です。

飴に砂糖味はもう求められてないのです。

だからこそ、砂糖味がフルーツ味やミルク味等にとってかわられたのも必至だったのでしょう。

そんな、飴の世代交代は、映画「火垂るの墓」におけるサクマ式ドロップでもわかるように日本では戦前から、アニメ「フランダースの犬」のフルーツキャンディーでもわかるように西洋では19世紀から、すでに始まっていたようです。

サクマ式ドロップが登場して既に100年が経つといいます。

それ以降、目覚しい革新はないみたいですね。

しかしながら、革新への挑戦が幾度となく行われてきたことは存じております。

たとえば、コーラ玉。

飴に炭酸を思わせるチクチクした謎の物質を入れたあの工夫。

たとえば、わたパチ。

飴を綿状にして、噛み潰すとはじける謎の物質を入れたあの工夫。

結局は、商品としてずっこけていますが、そうした奇妙奇天烈な発想は飴界の将来の明るさを保証していると思えます。

ただ、謎の物質を入れるのは、なんだかちょっと怖いですけどね…。

最後に、農協のマーケットのバイヤーさん。

「さくらんぼの詩」が2週間前から切れてますので入荷お願いします。



恐怖の片栗粉




婆ちゃん料理の特徴に

「一度でも美味しいというと、嫌いになるまでとことん連続」
「パンや麺は食事ではない。食事は絶対にご飯」
「唐揚げが食べたいというとトンカツがでるように、少し要望からズレる」
等々があります。

そんな、単なるわがままに過ぎない僕の不満の最たるものは

「油いためには必ず片栗粉」

例えば、生姜焼き

豚肉の薄切りに満遍なく片栗粉をまぶして焼きます。

ホタテのバター炒め

上に同じ

ステーキ

嫌も応もなく片栗粉

何が悪いかというと
1.片栗粉が油を吸うので油っぽい。
2.肉汁みたいな旨味まで吸うので、ソースやタレが淡白。
3.なんかもそもそする。
4.何を焼いても特徴がなくなる。

婆ちゃんの家に居候を始め早10ヵ月
その身分をわきまえ、長い間、耐えてましたが

「最近、あんたは全然たべなくなったからね。」と毎日のようにしつこいので

ついに、そのことを伝えました。

もちろん、「身が縮んで美味しくなくなるんだよ!」といい、不満そうな顔をしていました。

でも、良いんです。それで良いんです。

で、今日、家へ帰ると
ホタテのバター炒めです。

「ほら、ホタテがちっちゃくなっちゃったよ。」

良いんです。
そんな、マギー審司の名言をもじったようなことは言わなくても・・・。

僕はもう満足なんです。



急に胸が重くなった話




水曜日のこと・・・

同僚から「ワカサギ釣りのイベントあるみたいだけど・・・一緒にいかない?」と誘われました。

人からの遊びの誘い。
普通は心ときめく話ですよね。

それなのに、その話を聞いて何故か、僕の蚤の心臓搭載の胸が急に重くなりました。

心の奥で「いきたくない・・・いきたくない・・・」という囁きまで聞こえるような気がします。

なぜ、そんなに僕は行きたくないのか?

そう、それはちょうど去年の今頃・・・
大学の友人といった新篠津のワカサギ釣り

ワカサギ釣り

これが相当のトラウマになっているようです。

不思議なことに、頭の中では「仲のよい友人と馬鹿をした体験」という、すごく良い思いでなんだけど・・・なんなんだろう。

でも、よく考えれば
岩見沢からバスにのって猛吹雪の新篠津湖へ行き
数時間粘ってメダカみたいなのをたった一匹釣って
バスにのり遅れて雪道を歩くあの侘しさ

くたくたに疲れて「俺なにやってるんだろう?」と思ったものでした。

どうやら、心ではなく、僕の体がワカサギ釣りを拒んでいるようです。

ワカサギ釣りは厳禁ですね。

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