晴労雨読






最近暇なんで携帯に青空文庫の.txtファイルを入れて

文学を楽しんでいます。

昨日はトルストイの「イワンの馬鹿」、芥川龍之介の「あばばばば」を読みました。

イワンの馬鹿は昔、児童向けに簡易化されたモノを読んだことがありましたが、今改めて読み返してみると、そんな単純なものではないようです。

ロシアの近世に見られたミールの様な農奴の共同体的結合の持続を望む保守的な意識と

それと反対に産業革命の台頭とその根本にある重商主義のような経済社会の発展の猛威、また国家繁栄と維持の為の軍国化という国家的焦燥感の増徴等、当時のロシア周辺諸国の意識を見事に描写していることに気づきました。

また、馬鹿のイワンが築いた王国は、必要なモノは自分でまかない、教育も必要ない、偉い人も要らない。ただ自分の仕事をひたすらこなすことにより成り立つという社会を形成しており、彼のポル・ポトが理想とした原始共産主義国家というのは、まさにこれのことなのかと思わされました。

一見、童話という児童むけの教訓集に思えるこの作品の正体は、辛辣な社会風刺というまさに大人の楽しみ方ができる面白い作品でした。

一方、あばばばばですが

ちなみに、あばばばばっていっても

   ∩___∩
   | ノ      ヽ/⌒) あばばばばばば
  /⌒) (゚)   (゚) | .|
 / /   ( _●_)  ミ/    ∩―−、
.(  ヽ  |∪|  /    / (゚) 、_ `ヽ
 \    ヽノ /      /  ( ●  (゚) |つ
  /      /      | /(入__ノ   ミ   あばばっあびゃばびゃばば
 |       /       、 (_/    ノ
 |  /\ \       \___ ノ゙ ─ー
 | /    )  )       \       _
 ∪    (  \        \     \
       \_)

ではありませんよ。

ある海軍学校の教諭の日常の一コマを抜き出した作品で、彼がタバコを買いに頻繁に訪れる雑貨屋の店主の女房に抱く悪意ある好奇心が主人公の主観で描かれています。

私は、85年も前に書かれたこの作品に、現在にも通じるものを感じました。

この作品には、実に人間本来の習性たるものが観察されてあり、時代を経ても遡っても人間に共通するモノの考え方が描写されています。

以下では、ネタバレ的に感想を述べますので、未読の方は是非先に目を通してみてください。

あばばばば

例えば、心に悪魔が宿るという描写

どんなに穏やかに人を傷つけることとは無縁に暮らしている人間だとしても、他人の欠点、しかもそれを本人が弱みとして自覚しオドオドするようなら、こころに悪魔が宿り、その人に対し上からの視線でサディスティックな意地悪、又は心の中で嘲笑する喜びを感じてしまうものです。

少なくとも、僕はそれに共感できます。

特に、作中の女房のような少女のごとき初々しさが残る女性に対するそういった念は、人の心にとって至極堪りかねる獲物なんではないでしょうか?

僕は現代社会におけるイジメ問題も、この心の悪魔と同じ軸の延長にあるものだと思いました。

強い者がいれば、必ずそれ以外は弱い者、その弱いものの中で弱い者がイジメで標的にされます。それは誰が望もうと、強い−弱いという対極的な概念がある限り、無くなりません。

では、なぜそのような強い−弱いの立場が生まれるのかについても、この作品から窺えました。

主人公がその雑貨店に訪れた瞬間、店という閉鎖した空間には、愛想が無く淡白な夫と、親しくも無ければ身内では無い男性客、又人数として勘定する必要のない奉公の小僧がいて、そして女房がいることになります。

時代的なこともあり家庭では旦那は一番偉いわけであり、商売人にとってお客ももちろん偉い。

そうなるとただでさえ気が弱そうな女房は、自らを最も下の順位付けに評価することは確実です。

旦那は女房の気持ちを汲み助けるわけでもなく、女房は二者の間でオドオドする他なかったでしょう。

こういうことは立場やシチュエーションこそ違えど、だれでもあることだと思います。

しかし、物語最後では女性は子供という強い見方をつけます。

赤ん坊を抱えた女房は、以前はあんなにも弱弱しかったにも関わらず、母となった今では主人公の存在を一々気にするどころか、鼻であしらうことができるような強い心持を得ています。

それは、おそらく立場が母子と主人公という2対1の比率になったからでしょう。

そして、店の中においてもそれは同じで、母子、愛想の無い旦那、主人公は2対1対1、もしくは3対1であり女房はきっと以前のような心もとない立場にはないでしょう。

女性は子供を持つことで、どのような空間の中でも、唯一孤立していない、もっとも強い立場に躍り上がることができるのです。

実際、僕も以前から自分や他人の行動を観察していて思っていたことは、ある狭い空間、たとえばエレベーターに3人の人間が置かれたとしたら、その間柄が二人組みと一人の他人とした場合、かなりの確立で二人組みはその狭い空間の沈黙を破るように会話を始めます。

しかも、その声の大きさは二人の間でだけで伝われば十分という声量より大きく、内容も不明瞭の重要性が無い会話がなされます。

合図としては「そういえばさぁ」のような、無理やりな導入を思わせる言葉が入れば間違いないと思われます。

これも、空間の中での臨時の狭い社会に対する不安をなぎ払うためのものであり、一人の他人に対して二人組みという存在を誇示する無意識下の行動だといえるでしょう。

そのように、立場というものは味方もしくは後ろ盾が多ければ多いほど、そういったものが少ない他を圧倒することができます。

そういった点で、芥川龍之介の人間の気持ちのよくない心の働きの観察はかなり的を射た表現として書かれていると思います。

考えすぎかもしれませんが、それを念頭に置きながら読むと、話は大変面白くなるはずです。



諸国暇自慢






その道の先には何があるのか?

湾曲し仄暗い先があまり見通せない通路、まるで人生の如し。

実は暇です。

家でもバイト先でも暇を持て余しています。



攻殻機動隊を見てますが何か心沸き立つ興奮は起きない。



でも夜風呂は最高です。

ひっ!この汚い足は誰のでしょうか?心霊?



水場での撮影もOK。さすがビビカム君。



これが釧路名物霧です。不快ったらありゃしない。





雨の日の訪問者



たったまらん。




巷で話題のマルメタピオカガエル(バジェットガエル)





かっかわゆい

なんて不器用な捕食の仕方でしょう。





気持ちはわかるがいじめないで……



Vivitar ViviCam 5399届いた




Vivitar ViviCam 5399が届いただす。

撮った写真は右バナーにある

「CAMERA」に随時アップしていきます。

楽しんでいってください。

一応感想を述べておきますと

すごい軽い(軽石ぐらいの掴み心地)

すごいかっこわるい(アメリカの香りは一切しません。)

すごい使える(予想以上にいい感じで使えます。特にTungstenモードは薄暗くていい。)

すごい音鳴らない(悪友がしきりに鼻を鳴らしてほしがっています。)

おもちゃとして最高です。

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