日曜日論:朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上つぶした






今朝は9時まで寝て、10時には温泉に入りに行って、12時には酒を飲み始めた。
日曜日の醍醐味。

まさに、会津磐梯山で唄われる小原庄助さん。
はぁ、もっともだぁもっともだぁ。

朝酒は美味い。
ただ、それに背徳感を感じて、恍惚と飲んでいるようでは、まだまだ若造である。

普通に考えて下さい。
どんな酒飲みでも、飲んだら疲れる。

疲れて寝て、朝に目を覚ますのはいいが、当然のことながら爽快に目覚めたいものだ。

そう考えると、夜が深くなってから飲むよりかは、早め早めにこしたことがない。
という訳で、いとまができるとすかさず飲むのが正解という訳だ。

同じことで、風呂も体力を消耗する。
だからこそ、朝風呂が理想的である。

ただ、毎日だと歌のとおり身上を潰してしまう。
だからこそ、休日に限られた贅沢なんだな。

みなさん、日曜日を大切にしましょうね。

折角の休みを無駄にしないように有意義に過ごす?

ほう、ホットヨガに、ショッピングに、家族サービスですか。
否、否。

西洋の神をご存知か?

旧約聖書の創世記では、神は天地を創造して、七日目に休息に入ったという。
この七日目が日曜日であり、同宗教では安息日と言われている。

安息とは静かに休むこと。

要するに、一週間の6日間は身を粉にして働き、7日目にその疲労を癒やすということだよ。

その暦を受け入れている我々だ。
このロジックについても受け入れようではないか。

今日、嗜んだのはスコッチウイスキー「Bell's」の陶器ボトル。
スコッチ特有のピーティー臭はやや薄い。

つまみは先日の東海旅行で訪れた三重県の名物、サメの干物。
洋酒には少し違和感があったが、なんせ美味い。

休みとしては60点ぐらいだね。


先の会津磐梯山もいいが、
ガールズバンドのガールズポップス好きな僕としては
熊本県の民謡「おてもやん」も好き。


会津磐梯山もそうだが、何故に特定の個人が民謡に残るんだろう?
不思議だね。



スプリングロール




北海道は相変わらず寒いが、昼間の窓辺は陽光が差し込みポカポカと温かい。
こんな休日は眠くもないのにまどろんで時間だけが無駄に過ぎていきます。

日も長くなってきたし、なんだか少しホッとした気がする。


中国は武漢のロックバンド
3月9日に札幌の161倉庫でライブやるとか

普通に日本と代わり映えしない音楽だこと。
どうか、文化だけは世界基準に合わせて並列化しないでほしいですね。

本日は中華圏の正月、春節の元旦に当たる日。

友人であるton君は現在、神奈川にいるとか、せっかくだから中華街に行けばよかったのに…。


先ほど、台湾の友人のリョウ君とLINEをしました。

彼は現在、台南のおじいさんのところにいるそうです。

台南のおじいさんには過去にお世話になりました。
第3天「新幹線に乗りいざ台南へ」
読んでみて下さい。

そうか、2009年の旅だから既に8年は経過しているのか…
あのころ僕も若かったなぁ。

リョウ君に話を伺うと、おじいさん、おばあさんは健在で、今日は従兄弟たちも集まったとか…

従兄弟って、あの小学5年生と幼稚園生だった彼らか…懐かしいなぁ。

思わず、リョウ君に写真を送ってくれるよう頼んでしまいました。
明日には届くでしょう。

「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」か、あれから色々あったなぁ。



アマゾン音楽制限なし




最近買ったCD

昔持っていたけど、いつの間にか紛失したCD
Jaga Jazzistの「A Livingroom Hush」

Jaga Jazzistはノルウェーの特殊なジャズバンド
Cold Cut主宰のレーベルNinja Tuneに属しています。

SUMMER SONIC 2016にも出演しており、日本にも馴染みがあるのでは?

代表曲「Lithuania」もいいけど
このアルバムを再生した1曲目「Animal Chin」はシビレた。



話は変わるが、定額制音楽配信サービスは利用してますか?
Apple Music、LINE MUSIC、Google Play Musicなんてのが大手です。

いずれも一般のプランで月額980円、曲数は4,000万曲程が聴き放題です。

僕の場合は上記のいずれでもない、Amazon Music Unlimitedに加入しています。
というのも、もともと月額が980円ですが、Amazon Prime会員だと780円に値引きされるんです。

この他、スウェーデンの「Spotify」というサービスなんかも参入して、ここは広告を我慢すれば無料で利用できるそうですね。


このAmazon Music Unlimitedというのは素晴らしい。
さっそく、最強レゲエプレイリストを作成しました。
なんとも贅沢な構成で、選りすぐられた83曲の総時間が4時間47分。

レゲエ嫌いには拷問でしょうね。

ただ、4000万曲といっても何から何まであるわけではなく、僕のレゲエコレクションの場合、希望の5曲中、4曲は見つかった感じ。
泣く泣く諦めた曲も多々あります。

これが、邦楽の特に大御所のユーミンとか井上陽水みたいなレベルになると、ほとんどが対象外。
あっても、有名なアルバムではなかったり、オルゴールリメイクだったり。

ちなみに、Amazon Music Unlimitedに加入しながら、上のCDを買ったのもその理由、けっこう肝心なのがなかったりする。

ただ、一週間に2アルバムを新たにマイミュージックに突っ込んでいる現状、間違いなく元はとれているから、大変満足している。

最近聞いてるGateballersのアルバムでいうと
最新のはないですが、2016.3.23発売の「レモンソング」

はありました。

2018.2.21発売の最新アルバム「「The all」=「Poem」」は加わるのでしょうか?



不思議な感覚





全てから漂う平沢進感。


年越し前に言っておきたい。

これは誰にも伝わらないのだろうが…

今の世界は物質文化から精神文化にシフトしつつあるのではないだろうか?


と言いつつも、未だ、世の人々は真新しいアイテムに釣られ、物を蓄え続けてはいる。
実際、この僕もそうだ。

ただ、ここで言いたいのはミニマリストだかいう、世にも奇妙なお寒い人達のことではない。

僕が言いたいのは物質文化の衰退ということではなく、精神文化の発達である。
しいては精神文化の発達とは、デジタル技術の進化によるものということだ。


今やスマートフォンは生活に欠かせない必須ツールであることは誰しもが百も承知であろう。
小学校就学前の幼児ですら、その操作方法を知っているのだから驚かされる。


デジタル技術といえば、僕の時代で言えばTVゲームとパソコンだった。

パソコンに関して言えば、僕が知るはるか前から存在していたし、僕が触れるようになったのもかなり後発だろう。

TVゲームに関して言えば、ファミコンに始まり、スーファミとか、幼少期を語る上で思い出深いツールだ。

これらは本体有りきのもので、そこにソフトを入れ込むことによって拡張性を持つ。

スマートフォンに関しても同様ではあるが、PCと比較すると設定等の必要操作は整理され、より簡易に仮想世界にアクセスできる。また、TVゲームと比較するとソフト導入のコスト、労力も障壁が低い。

表現し難いところではあるが、スマートフォンはあまりにも融通が効きすぎて道具や機械というその実体を意識させない気がする。


僕がPCの仕組みを全て承知して操作している訳ではないが、ある程度のイメージはもっている。

だから、前述のとおりスマートフォンにしてもPCにしても、アプリケーションやソフトは本体有りきの存在であり、箱と中身という分離したイメージが切っても切れない。


ときに、以前、小学生だった親類の子から変わった話を聞いた。
あれはニンテンドーDSが流行っていた頃、今時の子供達の遊び場は公共施設や雑居ビルの陰だという。

町から子ども達の遊び場が消えたからか?

否、これはなんのことない、ニンテンドーDSでオンライン対戦をするためだという。
ロックのかかっていないWi-Fiスポットを誰かが見つけ出し、友達の輪を通じ自然に子供達がたむろするようになったのだという。

当然、小学生だからインターネットの理屈は理解していないが、誰から教わったのか接続に関する手段だけが広く伝承されたらしい。

数年前に入社した後輩はPCの操作が全くできなかった。(大卒だがどうやって卒業したのだろう?)
だが、スマートフォンに関して言えば、最先端のアプリケーションを操作し、その順応性は高いものだった。

そんな彼は、僕が歩いて1分の席にいるにもかかわらず、決して訪ねてくることなく、LINEで「昼飯食べにいきませんか?」と話しかけてくる。
ちなみにいうと、その職場は別に私語をし辛い環境にある訳ではない。

そう聞くと、今時とはいえない諸先輩は「失礼な奴だ」と思うだろう。

ただ、僕は前述の小学生の話を聞いて以来、漠然と思っている本日のテーマに帰納される気がする。

繰り返すが、彼らにとってインターネットという仮想世界は、スマートフォンの便利さ故に、設定等のテクニカルなものが簡略化され、手段だけ知っていれば誰でもアクセスできるより近しいものになっている。

僕はこうした話を通じて、彼らには僕らとは違う平行世界をもっており、後輩の例でいえば、彼はスマートフォンの中の仮想世界で僕と会って「昼飯食べにいきませんか?」と話かけているのだ。

つまり、デジタル技術というものは、僕が認識する単に箱と中身により成り立つのではなく、スマートフォン等のツールによって仮想世界と交信するための入り口を開く「儀式」であるのだ。


宗教には神やそれに準じた存在が欠かせないが、その遥か高みの存在と我々人間がコンタクトを図ることは容易ではなく、代々伝わる儀式を執り行うことで入り口が開かれる。

そもそも、神とは人間にはどうしよもないことや、人知を超えたものを説明する上で、仮定した観念である。

だから、人間は神(人知を超えたもの)の実体を知り得ないが、その存在は認識しており、神と交信するための手段を編み出し、それを仲間に伝えている。


なにもスマートフォンが宗教だとは言わない。
実際、仮想世界に崇拝すべきものが必ずしもある訳ではない。
ただ、とても似通っている。
なお、そのもの自体を知り得ないが、解決の手段を知っているというのは、デジタル技術だけではなく、生きていく上であらゆる場で遭遇する。

例えば、木に火をつければ燃えることは知っているが、何故燃えるのかは知らない。
だからといって、この一連の過程が宗教であるかと言えば、それは間違いである。

デジタル技術と言うものが仮想世界という、具現化され得ないものであることが宗教に近いと考えるところだ。

話は戻るが、精神文化の発達だが、まさにこのスマートフォンを代表するデジタル技術の簡易化によるものである。

ニュースでは「SNSの闇」等と特集され、未成年が大人の餌食になっているという話題を頻繁に聞く。
しかしながら、未成年が大人の餌食になるのは、SNS等の仮想世界に限ったことではなく、現実世界でもままにあり、彼らが社会の汚さを知らないがためである。

ただ、SNSがイジメを助長しただとか、炎上してメンタルを毒された等というニュースは特徴的だと思う。
仮想世界が並行的に、実生活の延長線上に存在しているのだ。


結論であるが、僕はこの現象が新たな概念の誕生であると思う。
素晴らしいことでは有るが、宗教のように神に触れることが目的ではなく、仮想世界に自分が存在することが目的であることが不安になる。

というのも、存在するためには常に繋がっていなければならないじゃないか。

トラブルが起きる機会も増えるし、なんといっても人と繋がることは疲れるからね。

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